大人が楽しむ夏の日本酒
2025.06.17
梅雨だから、夏だから、
うぅ〜ん。空梅雨になるのでしょうか、今年は。食米だけでなく平助さんとしては酒米の出来にも思うところが出てきそうです。
暑い夏、特に最近の酷暑では固く溶けにくい胴割れの多い酒造りに一層難しさを感じさせる米となってしまいます。天候も順調で豊作の年は、杜氏さん方も「いい酒を造ろう。」という意識が高まり酒造りの難しさの中に心地よい挑戦意識と緊張感が生まれるのではないでしょうか。そうした順風漫歩の中での酒造りではない昨今、それでも皆さんに納得していただける酒造りを蔵や杜氏さんは追及しています。
今回は今日(6月17日)届きました4本のお酒を丁寧に説明させていただこうと思います。夏酒ではありながらも秋に向けても飲める、なぜ飲めるか、など蔵元さんの募る思いに平助さんの思いもプラスして1本ずつご説明いたします。
そして、もう一つ、平助さんの今回のご紹介のキーポイントは、「流行りを意識しない自分の蔵の造り」。「大人の酒」です。伝統を貫きながら革新をしていくことはとても大切です。そこから生まれてくるのが「今の酒」といわれるものなのかもしれません。敢えて「今の流行り」の概念を取り外しお酒の経験値の高いコアな消費者に焦点を当てお酒の味わいを深く掘り下げてみたいと思いました。そんなコンセプトの今回のご紹介。大人は是非、お試しください笑。
秋鹿 山廃純米 雄町 倉垣村 無濾過生原酒 720ml
秋鹿酒造自営田(大阪府豊能郡能勢町倉垣) 雄町 100%
使用米は秋鹿の自営田で大事に育てられた雄町を使用。一反につき収量は7俵ほどが普通ですが秋鹿の自営田の場合は3〜3.5俵ほど。農薬・化学肥料無施肥で自社の酒粕・米糠(こめぬか)等の発酵堆肥のみを肥料にしているため、収量が少ないのです。また収量は減りますが根が丈夫な苗を作る方法で田んぼを「少数精鋭」にすることにより、穂高も低く、粒も少ない代わりに余計なアミノ酸が少なく、熟成に適したお米になります。ラベルには自営田米使用の印「へのへのもへじ」が入っています。
味わいは秋鹿らしい濃醇さと酸
秋鹿の造りの特徴は「できるだけ溶かす、できるだけ粕を減らす、搾りきる。」米を大事に思うからこそ、できるだけ日本酒に昇華させることを意識しています。コメのうまみ、濃醇さを感じるのはその点が大きく寄与しているのでしょう。R4BYの無濾過生原酒。2年の熟成により秋鹿らしい濃醇なコメの旨味が広がります。酸もしっかりあるので食中酒としても満足いただけます。無濾過生原酒ですが、常温〜お燗がおすすめです。夏だからこそ、常温〜お燗。蔵元さんの自信の表れですね。
秋鹿は大阪の山奥、能勢町にある小さな酒蔵
平助さんにとって秋鹿は大阪の山奥にある小さな酒蔵というイメージです。残念ながらまだ蔵元さんに伺ったことはありません。初めて自分の意識に「秋鹿」さんがしっかりと入ってきたのはある年のひやおろしを試飲した時でした。「あ、旨いな〜。」地味だけど深みがある奥深い味わいでした。大人の味わい、日本の味わい、コメの味わい。そんなことがふと浮かんでくるお酒です。
⁂当店では未成年者の方にお酒の販売はしておりません。
相模屋平助商店一同
うぅ〜ん。空梅雨になるのでしょうか、今年は。食米だけでなく平助さんとしては酒米の出来にも思うところが出てきそうです。
暑い夏、特に最近の酷暑では固く溶けにくい胴割れの多い酒造りに一層難しさを感じさせる米となってしまいます。天候も順調で豊作の年は、杜氏さん方も「いい酒を造ろう。」という意識が高まり酒造りの難しさの中に心地よい挑戦意識と緊張感が生まれるのではないでしょうか。そうした順風漫歩の中での酒造りではない昨今、それでも皆さんに納得していただける酒造りを蔵や杜氏さんは追及しています。
今回は今日(6月17日)届きました4本のお酒を丁寧に説明させていただこうと思います。夏酒ではありながらも秋に向けても飲める、なぜ飲めるか、など蔵元さんの募る思いに平助さんの思いもプラスして1本ずつご説明いたします。
そして、もう一つ、平助さんの今回のご紹介のキーポイントは、「流行りを意識しない自分の蔵の造り」。「大人の酒」です。伝統を貫きながら革新をしていくことはとても大切です。そこから生まれてくるのが「今の酒」といわれるものなのかもしれません。敢えて「今の流行り」の概念を取り外しお酒の経験値の高いコアな消費者に焦点を当てお酒の味わいを深く掘り下げてみたいと思いました。そんなコンセプトの今回のご紹介。大人は是非、お試しください笑。
秋鹿 山廃純米 雄町 倉垣村 無濾過生原酒 720ml
秋鹿酒造自営田(大阪府豊能郡能勢町倉垣) 雄町 100%
使用米は秋鹿の自営田で大事に育てられた雄町を使用。一反につき収量は7俵ほどが普通ですが秋鹿の自営田の場合は3〜3.5俵ほど。農薬・化学肥料無施肥で自社の酒粕・米糠(こめぬか)等の発酵堆肥のみを肥料にしているため、収量が少ないのです。また収量は減りますが根が丈夫な苗を作る方法で田んぼを「少数精鋭」にすることにより、穂高も低く、粒も少ない代わりに余計なアミノ酸が少なく、熟成に適したお米になります。ラベルには自営田米使用の印「へのへのもへじ」が入っています。
味わいは秋鹿らしい濃醇さと酸
秋鹿の造りの特徴は「できるだけ溶かす、できるだけ粕を減らす、搾りきる。」米を大事に思うからこそ、できるだけ日本酒に昇華させることを意識しています。コメのうまみ、濃醇さを感じるのはその点が大きく寄与しているのでしょう。R4BYの無濾過生原酒。2年の熟成により秋鹿らしい濃醇なコメの旨味が広がります。酸もしっかりあるので食中酒としても満足いただけます。無濾過生原酒ですが、常温〜お燗がおすすめです。夏だからこそ、常温〜お燗。蔵元さんの自信の表れですね。
秋鹿は大阪の山奥、能勢町にある小さな酒蔵
平助さんにとって秋鹿は大阪の山奥にある小さな酒蔵というイメージです。残念ながらまだ蔵元さんに伺ったことはありません。初めて自分の意識に「秋鹿」さんがしっかりと入ってきたのはある年のひやおろしを試飲した時でした。「あ、旨いな〜。」地味だけど深みがある奥深い味わいでした。大人の味わい、日本の味わい、コメの味わい。そんなことがふと浮かんでくるお酒です。
⁂当店では未成年者の方にお酒の販売はしておりません。
相模屋平助商店一同
夏 初呑み切り 開夏 のご案内
2025.06.09
KAIKA 開夏 厳選 涼酒
栃木県第一酒造さんの「初呑み切り」のご案内
「初呑み切り」とは
冬に仕込んだお酒の熟成具合を、初夏頃にチェックする酒蔵恒例の行事。複数ある貯蔵中のお酒から少量のお酒を抜き取り、その味の乗り具合や出来を確認していくという、とても重要な作業となります。
今一番おいしいお酒、「特別な1本」を酒屋が厳選してまいります。私たち酒販店が実際に蔵元へ訪問して、利き酒を行います。蔵に眠っている美味しいお酒の中のからこの夏にベストなお酒を厳選して皆さんにお届けします。
一番おいしいお酒、その味わいを暑い夏の訪れとともに皆様にお届けいたします。ご堪能ください。そして、と〜っても暑くなるであろう今年の夏も元気に乗り越えましょう!
皆さんのご予約を心よりお待ちしております。
⁂当店では未成年者の方にお酒の販売をしておりません。
相模屋平助商店一同
栃木県第一酒造さんの「初呑み切り」のご案内
「初呑み切り」とは
冬に仕込んだお酒の熟成具合を、初夏頃にチェックする酒蔵恒例の行事。複数ある貯蔵中のお酒から少量のお酒を抜き取り、その味の乗り具合や出来を確認していくという、とても重要な作業となります。
今一番おいしいお酒、「特別な1本」を酒屋が厳選してまいります。私たち酒販店が実際に蔵元へ訪問して、利き酒を行います。蔵に眠っている美味しいお酒の中のからこの夏にベストなお酒を厳選して皆さんにお届けします。
一番おいしいお酒、その味わいを暑い夏の訪れとともに皆様にお届けいたします。ご堪能ください。そして、と〜っても暑くなるであろう今年の夏も元気に乗り越えましょう!
皆さんのご予約を心よりお待ちしております。
⁂当店では未成年者の方にお酒の販売をしておりません。
相模屋平助商店一同
こうした運びとなりました。平助さんの独り言
2025.05.29
平助さん、こうした運びとなりました!
(ご説明がとても長〜くなりますのでご了承くださ
い。)
皆さん、すがすがしい5月ももう今週で終わってしまいます。こんな5月の気持ちのいい季節にこそいろんなことをしたいですね。
ところで、今年の連休はどのように過ごされましたか。平助さんは毎年、3、4月の忙しさの疲れをいやすために5月の連休をゆっくり自宅で過ごしていました。千鳥ヶ淵をゆっくり散歩しながらどことなく初夏の香りを感じたり、若芽がぐんぐんと伸びるそんな季節を楽しんでいました。
でも、今年はいつもとちょっと違って本当に幸運な貴重な経験をさせていただきました。
平助さんが継いだ相模屋にはいろいろなお客様がいらっしゃいます。その中に戦争後からの大切なお客様で、ご年配の方お二人(まもなく70歳)から「一緒にヴァチカン市国に行きましょう。」と昨年からお声がけをいただいておりました。今年は25年に一度の貴重な年(聖年)なので「是非に」とお誘いを受けていたんです。
それが5月の連休中の予定で、平助さんの住む住居棟のエレベーター交換工事を3年前から予定しており、そのお誘いを残念ながらお断りをしていました。それがそれが、エレベーター会社さんの都合で連休を避けて10日ほど後ろ倒しに日程が急遽、変更されました。やった〜とばかりに4泊6日の強行軍でしたがそのお客様たちと一緒にヴァチカンに行ってまいりました。
絶対にダメだと思っていたこの貴重な旅があっという間に現実化されたんです!
出発の5月2日をウキウキ待ちながら血眼で仕事を片付ける毎日。そのさなか、とても悲しいことではありますが4月21日に、訪日もされたフランシスコ教皇様がご逝去されました。日本滞在中は相模屋の前を何度か通ってくださいました。つまりご逝去から5日〜2週間後の教皇選挙(コンクラーベ)を控えるヴァチカンへ向かうこととなったんです。私共が訪問する時期にコンクラーベがなされることに。これは驚くべき貴重なことに遭遇する機会を与えられることになったんです。
5月2日の当日はお声がけくださったお二人は長崎からそのほかの方々と羽田に来られそこで落ち合い、ヘルシンキ経由でローマにつきました。
サン・ピエトロ大聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂の四大聖堂をめぐり、ヴァチカン市国を歩き回っておりました。そして、7日午後4時30分に初めてのコンクラーベがなされ、7時に選挙結果をしめす煙が上がることに。
その日は133名の枢機卿が出席された午前10時の御ミサにも参列させていただき、コンクラーベの結果が出るサンタ・マリア大聖堂の広場で選挙結果を待ちました。
こうして文章で状況を書いてみますとたわいのないことのように見えてしまいますが、平助さんがこの瞬間に立ち会わせていただけたことは本当にありがたい事でした。
枢機卿の方々を先導した大きなキャンドルをもった司祭たちが入場されたとき、どうしてなんでしょう、とても胸がいっぱいになり、涙がこみ上げてきました。
ヨーロッパから見ると私は極東に住む小さな一人間です。その小さな存在ですら、世界中の軍事的、経済的、思想的争いには心を痛めます。すべてを広い心を持って対応することはできないのかと疑問を持ちます。肌の色も、年齢も、国籍も関係なく穏やかな気持ちをもって皆が生きていく、そんな世界が一日も早く来ることをヴァチカンのサン・ピエトロ寺院の広場にいて痛感しました。この広場は大いなる存在が手を広げてすべての人々を抱え込まれる形を象徴しています。そんなことに深く感じ入りながら毎日を精いっぱい過ごしていくことが私の務めだと決意しました。
この歴史的瞬間にヴァチカンを訪れる機会を与えられたことに心から感謝し、なすべきことは後から振り返ると何の問題もなく「こうした運びとなりました。」となり結果に至るんですね。ともにこの貴重な時間を共有できたシスター奈利子、シスター美知代、Elena、奈緒美さんに感謝申し上げます。
そして、私が相模屋平助商店を継がせていただけたことに心から感謝申し上げます。
イタリアワインをゆっくりいただく時間はありませんでした笑!!!
そして、何より世界中の皆さんがしあわせになりますように。
(ご説明がとても長〜くなりますのでご了承くださ
い。)
皆さん、すがすがしい5月ももう今週で終わってしまいます。こんな5月の気持ちのいい季節にこそいろんなことをしたいですね。
ところで、今年の連休はどのように過ごされましたか。平助さんは毎年、3、4月の忙しさの疲れをいやすために5月の連休をゆっくり自宅で過ごしていました。千鳥ヶ淵をゆっくり散歩しながらどことなく初夏の香りを感じたり、若芽がぐんぐんと伸びるそんな季節を楽しんでいました。
でも、今年はいつもとちょっと違って本当に幸運な貴重な経験をさせていただきました。
平助さんが継いだ相模屋にはいろいろなお客様がいらっしゃいます。その中に戦争後からの大切なお客様で、ご年配の方お二人(まもなく70歳)から「一緒にヴァチカン市国に行きましょう。」と昨年からお声がけをいただいておりました。今年は25年に一度の貴重な年(聖年)なので「是非に」とお誘いを受けていたんです。
それが5月の連休中の予定で、平助さんの住む住居棟のエレベーター交換工事を3年前から予定しており、そのお誘いを残念ながらお断りをしていました。それがそれが、エレベーター会社さんの都合で連休を避けて10日ほど後ろ倒しに日程が急遽、変更されました。やった〜とばかりに4泊6日の強行軍でしたがそのお客様たちと一緒にヴァチカンに行ってまいりました。
絶対にダメだと思っていたこの貴重な旅があっという間に現実化されたんです!
出発の5月2日をウキウキ待ちながら血眼で仕事を片付ける毎日。そのさなか、とても悲しいことではありますが4月21日に、訪日もされたフランシスコ教皇様がご逝去されました。日本滞在中は相模屋の前を何度か通ってくださいました。つまりご逝去から5日〜2週間後の教皇選挙(コンクラーベ)を控えるヴァチカンへ向かうこととなったんです。私共が訪問する時期にコンクラーベがなされることに。これは驚くべき貴重なことに遭遇する機会を与えられることになったんです。
5月2日の当日はお声がけくださったお二人は長崎からそのほかの方々と羽田に来られそこで落ち合い、ヘルシンキ経由でローマにつきました。
サン・ピエトロ大聖堂、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂、サン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂、サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂の四大聖堂をめぐり、ヴァチカン市国を歩き回っておりました。そして、7日午後4時30分に初めてのコンクラーベがなされ、7時に選挙結果をしめす煙が上がることに。
その日は133名の枢機卿が出席された午前10時の御ミサにも参列させていただき、コンクラーベの結果が出るサンタ・マリア大聖堂の広場で選挙結果を待ちました。
こうして文章で状況を書いてみますとたわいのないことのように見えてしまいますが、平助さんがこの瞬間に立ち会わせていただけたことは本当にありがたい事でした。
枢機卿の方々を先導した大きなキャンドルをもった司祭たちが入場されたとき、どうしてなんでしょう、とても胸がいっぱいになり、涙がこみ上げてきました。
ヨーロッパから見ると私は極東に住む小さな一人間です。その小さな存在ですら、世界中の軍事的、経済的、思想的争いには心を痛めます。すべてを広い心を持って対応することはできないのかと疑問を持ちます。肌の色も、年齢も、国籍も関係なく穏やかな気持ちをもって皆が生きていく、そんな世界が一日も早く来ることをヴァチカンのサン・ピエトロ寺院の広場にいて痛感しました。この広場は大いなる存在が手を広げてすべての人々を抱え込まれる形を象徴しています。そんなことに深く感じ入りながら毎日を精いっぱい過ごしていくことが私の務めだと決意しました。
この歴史的瞬間にヴァチカンを訪れる機会を与えられたことに心から感謝し、なすべきことは後から振り返ると何の問題もなく「こうした運びとなりました。」となり結果に至るんですね。ともにこの貴重な時間を共有できたシスター奈利子、シスター美知代、Elena、奈緒美さんに感謝申し上げます。
そして、私が相模屋平助商店を継がせていただけたことに心から感謝申し上げます。
イタリアワインをゆっくりいただく時間はありませんでした笑!!!
そして、何より世界中の皆さんがしあわせになりますように。